ONE ROOTS

松阪市と中国無錫市「障がい者友好プロジェクト」
                               主たる目的
中部国際空港への松阪アクセスルートもでき、これから海外からの旅行者、訪問者が増えて市民との交流が活発になっていくよう、「まつさかチャレンジドプレイス希望の園」の文化活動を中国江蘇省無錫市濱湖区でおこない、両市の障がい者の交流を通して、お互いの社会福祉活動内容の向上と障がい者の能力助長を促すこと。


なおこのプロジェクトには松阪市やご賛同頂きました多くの皆様のご支援ご協力のもと行う事が出来ました。特に中国に工場を持つ株式会社サンヒル様には日本での準備はもちろん中国国内での全てのスケジュールにおいてご支援賜りました事をご紹介させていただきます。
                      2006.11.23
体調や家庭の都合などで12名は名古屋セントレア近くのホテルで前泊する事にしました。松阪航路が開通前だったのが残念でしたが、高速船でセントレアへ向かい、夜の空港を楽しんできました。なおパンダはこのプロジェクト中はかずま君と寝泊りも含め行動を共にする事になり、あわせてMCTVのカメラをお借りして撮影もする事になりました。ボランティアで参加していただくパンディーズ1号シホちゃん2号アヤちゃんがアシスタントとして協力してくれました(^○^)
                   
                       かず君何を思っているのでしょうか
2006.11.24

県の福祉バス太陽号で早朝4時から空港へ向かった当日組みと合流していよいよ中国上海空港へ飛び立ちます。飛行機はもとより海外旅行は初めてという方達やベテランまで総勢36人の訪問団です。残念な事に名古屋まで行動を共にした大ちゃんは体の事を熟慮し訪問を見合わせることになりました。大ちゃんや留守を預かるメンバーの思いも込めていざ出発です。
              
機内に電動車椅子はもちろん皆さん愛用の車椅子は持ち込めませんので、他の乗客の迷惑にならないように先乗させていただき一人一人吊り上げて座席まで運びます。それはそれは狭い機内での重労働ですし、園生も慣れない姿勢で大変です。でもなんとか全員無事に乗る事が出来ました。ANAの機内では神妙な雰囲気の方から機内食を楽しむ方までいろいろな表情でした。かずまくんは予想外におとなしくしていました。

中国上海は日本より1時間遅れの時差です。到着すると中国の雰囲気がすぐに感じられました。とにかく空港を出て驚いたのは車が多くてクラクションが鳴りたくっていることでした。ここでは人より車優先だから気をつけてと言われました。一路、無錫市へバスは走りましたが、なんと3時間もかかる旅にみなさん中国の広さを実感でした。車窓から見る景色は、車や家や何もかもが新しいものと古いものが混在する不思議な世界でした。
                         

私たちが基地にするのは太湖のほとりにある水秀飯店というホテルです。到着後、休む間もなく今晩行うハンドベルの練習を行いました。夕食は無錫市濱湖区関係者主催の歓迎会です。まさに熱烈歓迎の夕食会で圧倒されるばかりでした。パンダは比較的おとなしいグループの席に陣取りましたので、乾杯攻撃から身をかわすことが出来ましたが、中国の方の歓待には驚くばかりです。ハンドベルも上手く演奏でき、日中友好の初日は大成功でした。

             
2006.11.25
ホテル出発前に中国人のボランティアさんたちと顔合わせを行いました。みなさん日本語を勉強されている方達でとても素敵な方達でした。かず君にもボランティアさんがついてくれる事になり、早々パンディーズと仲良しになっていました。
                   
         マ〜さんとのコミュニケーションの取り方を教えてもらう中国の学生さん

午前中は中心小学校へ交流に出かけました。まず車椅子の方たちをバスに乗せるため吊り抱えて乗り込み、電動も含め車椅子は中国軍のトラックへ乗せてもらいました。そのため軍服を着た兵隊さんが3名27日までお手伝いしてくださいました。この日は強い雨の振る中の出発で大変でした。中心小学校は生徒数1000人を超える学校です。校門から玄関までもとても広く、すべてツルツルの石のタイルで敷き詰められていました。玄関に入ると風船を持った子どもたちが大きな声で一人一人に歓迎の言葉をかけてくれました。そして玄関には歓迎の大きな横断幕が掲げられていて驚きました。
             
                             ※肖像権の都合で兵隊さんはご勘弁ください

     
いつも小中学校でしている交流会と全く同じスタイルで行い、風船バレー、組みひも、電動サッカー、絵画、折り紙、お話コーナーで交流をしました。中国人のボランティアさんが通訳で頑張ってくれました。

             
希望の園からはハンドベル演奏、子どもたちからは日本の歌や中国の歌が披露され、一緒にドラえもんの歌を歌ったりしました。また中国の先生の歌や二弧の演奏も披露していただきました。玄関正面には、港小学校と松尾小学校のお友達の作品が展示され、中国の報道陣も取材にきていました。また松尾小学校名物のくす玉が割られ、中国の子どもたちに大うけでした。交流会は大成功でした。

ホテルへ戻り昼食後、老人ホームへ訪問交流に出かけました。移動するごとにバスへ乗り込むのはスタッフには重労働でした。また兵隊さんたちは重い電動車椅子を毎回上げ下ろしする大変な仕事になりました。

      

      
こちらでも横断幕が掲げられ熱烈歓迎でした。皆さんが作られた造花を頂き、交流が始まりました。まゆみさんの折り紙コーナーやマーシーさんの組みひものコーナーには人だかりが出来るほどのスゴイ熱気に包まれていました。マーシーさんのコーナーは翌日の新聞「無錫日報」の1面にカラーで取り上げられるほどでした。希望の園からはハンドベルや歌を歌い、中国の方からは琵琶や郷土の芸能などが行われ交流しました。無錫旅情を歌ったこのプロジェクトの団長三好氏から施設長に友好のメッセージとプレゼントが手渡されました。

こうしてハードな一日が終わり、ホテルで夕食後、出られる人だけで無錫の街へ出かけ、サンヒル社長さんのご好意で、カラオケに連れていただきました。カラオケは日本語バージョンでした(^○^)
2006.11.26
唯一の観光に出発しました(笑)霊山大仏見学です。88メートルの立像大仏が小高い丘にそびえている観光名所です。巨大な蓮の花から仏陀が誕生するという大アトラクションもありました。残念ながら雨は無いものの濃い霧のため大仏が霞んで見えました。慣れない土地での事でしたので体調を崩すメンバーも出始めゆっくりと観光とはいかないようでした。寒かったので早々にバスに乗り、太湖の周辺を車中見学しました。1周すると6時間かかるそうです。実は中国のボランティアさんの中にも霊山大仏は初めて来たという方があるほど中国は大きな国です。
      
        とっても寒い中、歩ける方たちはエレベーターで大仏の台座まで上りました。
                                   少し霧に包まれていましたが絶景でした。


霊山で昼食後、太湖湖畔の噴水公園で中国の障がい者の方たちと野外ミニコンサートを行いました。中国の方たちと交互に曲を披露して和やかな雰囲気の中、公園に来ていた人たちが見る見る集まり出し大きな輪の中で交流が深まりました。とても寒かったのですがメンバーの熱気で体調を崩した仲間も参加して頑張りました。初めはなかなか打ち解けにくかった中国の学生さん達ともだんだん仲良くなり、お互いの連絡先など交換したりして、仲良くなっていきました。
      

      
           すっかり仲良しになった園生と中国人と日本人ボランティアさん
            
2006.11.27
中国の学生さんたちと過ごす最後の日になりました。なんだかとてもさびしく感じました。午前中は知的障がい者作業所見学に出かけました。何度も紹介しますが移動にはバスを使い、リフトカーが無いためその都度園生を抱え乗車してもらいます。そして車椅子は軍隊の協力で運搬してもらっていました。ボランティアさんには本当にお世話になっていました。 作業所といっても日本でいう小規模な建物ではなく広々とした大きな工場内でした。それぞれに任されている仕事をテキパキとしている姿が印象的でした。みなさんは箱作りをしています。事務所に飾られていた完成品は本当に芸術品のようなすばらしい出来栄えでした。
園生の中には、中国の方の横に座らせていただき一緒に箱作りに挑戦される方もみえましたし、中国のボランティアさんも園生と一緒になって取り組んだりして、和気あいあいとした視察でした。

      
 
             
              自尊・自信・自強・自立のスローガンがあがる作業所です

ホテルに戻り昼食後、義肢部品センターの視察と障がい者交流会、共同制作、作品展に向かいました。どこへ行っても熱烈歓迎で横断幕が貼られているのですが、義肢部品センター前で全員がそろって写真撮影をして頂き、帰る時に全員に大判の写真を頂きました。義足などを作っている現場を間近に見ることが出来、日本でもなかなか出来ない体験をさせて頂きました。センターの地階にある広場で園生たちと中国の障がい者との交流会があり、お互いの作品が展示されました。またその場でお互いが油絵などの絵画や習字を行い共同制作を行いました。画伯やハッチさんは得意の油絵を披露したり、和気あいあいと制作に励みました。また訪問団団長や濱湖区政府の方たちも飛び入りで習字を披露したりして友好を深めました。
           

      

      

いよいよ無錫市の方たちとお別れのときがやってきました。無錫市政府主催のお別れ会会場に向かいお世話になった方たちとお別れをしました。
      

      
政府の方や中国の学生さんや、軍隊の方まで私たちと和気あいあいと歌を歌い、語り合い、記念写真を撮ったり、素敵な時間が流れ、お別れするのがさみしく感じました。中国だ日本だなどと国境など全く感じさせない出会いと交流、みんなが手を取り合い歌いあい、障がい者健常者の壁も無く交流できた事に感謝の気持ちでいっぱいでした。お世話になりました無錫市の皆さん、ありがとうございました。謝謝。
2006.11.28
連日のハードスケジュールと慣れない土地や食べ物に体調を崩す方が続出でしたが無錫を後にして上海へ向けて出発しました。上海までのバスでの長旅の途中に今回お世話になった(株)サンヒル様の中国工場を見学に行きました。近代的設備の大工場で圧倒されました。
             
            語り尽くせないほどお世話になりました。向かって左が松本社長様です

      
上海では人人人の洪水です。とにかく見るもの全てに圧倒される大都会でした。時間の都合上、観光は出来ず、昼食会場までの徒歩を異国情緒に浸りました。電動車椅子で疾走する姿に人だかりが出来、園生たちは注目の的でした。ただ案内の方に貴重品に気をつけるよう言われ少しびびっていたパンダです(笑)さすがは大都会で迎えのバスが道に迷いなかなか到着せず、車椅子の方たちは街灯に掴まりバスを待ちましたが、その光景に大勢の人だかりが出来、本人達も周りの皆さんも大笑いしていました。
                     
帰国に向けて体調を整えるため夕食は控える方が多い中、パンダとかずま君、パンディーズ1号シホちゃんは元気に夕食へと向い夜景の素敵な街へと連れていただきました。
      
時間が押して観光は出来ませんでしたが車窓から見る巨大ビル郡の灯り、少し探検したホテル近くのネオン街は、心に残る風景でした。いよいよ明日帰国です。
    
                2006.11.29
出国手続きも無事終わり搭乗しました。まだ体調いまいちの方がいる中、パンダとかずま君は機内食を完食する余裕でした。デジカメのメモリも少なくなり尾鷲上空の写真が最後となりました。
             
5泊6日(6泊7日の方も)を園生と共に過ごしたボランティアのみなさん、お疲れ様でした。無事上海を出発してセントレアへ夕方到着、時計を一時間進めて空港で解散式を行いました。パンダやかずま君パンディーズは高速船で帰ることにし、ここでお別れをしました。みなさんは太陽号で松阪へ向かいました。長いようで短かった国際交流は大成功をおさめました。大ちゃんたちの思いも届いた事と信じています。今後はこのつながりを大切にして両市の交流を益々発展させる事が、このプロジェクトの真価だと考えます。

                     みなさんお疲れ様でした。
                 ご支援ご協力いただきました皆様ありがとうございました。